
長らくご利用いただきました本サイトも、その使命を終えたと考えております。
つきましては4月30日をもちましてサイトをクローズさせていただきます。
永年ご愛用いただきましてありがとうございました。
管理人
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前期と後期はまったく別のバンド、と評する向きもあるドゥービー・ブラザース。この作品は、ちょうどその端境期にあたる1976年に発表されたアルバムだ。
発売する年の1月に、彼らの初来日ライブを大阪厚生年金会館で見た。
屋内で花火を打ち上げるド迫力の演出(消防所からクレームを受け2日目は中止したはず)や、ジェフ・バクスターが、しきりに西條秀樹のYMCAの振りを真似ていたことを、今でも鮮明に覚えている。
「あの人誰やろ?」
体調不良でツアーをキャンセルしたトム・ジョンストンの代役として、ステージの端のほうで目立たなく歌っていたピアニストが、その後のドゥービーのサウンドを劇的に変えたマイケル・マクドナルドだったわけだ。
このアルバム、M.マクドナルドの洗練されたソング・ライティングとアレンジ、そしてブルー・アイド・ソウル的な独特のボーカルにより、軽快でシンプルな音が売りだったサンフランシスコのギターバンドが、ジャズやR&B色の濃い都会的なサウンドへと大きく化学変化を起こした、まさにエポック・メイキングな1枚。
コアなファンの中では賛否両論が渦巻いたが、このアルバムのヒットが、翌77年の「運命の掟」や、グラミー賞を獲得したホワット・ア・フール・ビリーヴスが収録されてる78年の「ミニット・バイ・ミニット」というAOR路線への方向転換に拍車をかけた。
アルバムのタイトルになったTakin’ It To The Streetsは、それまでのドゥービーにはなかったゴスペルタッチのエモーショナルなナンバーだが、、ドゥービー時代~ソロ転向後を通して、彼が書く曲の中でも異色のナンバーではないだろうか。
初めて聴いたとき「かっこええなぁ~」と衝撃を受け、すっかりM.マクドナルドの大ファンになった。
御大クインシー・ジョーンズがこの曲に目をつけ、「スタッフ・ライク・ザット」というアルバムでカバー。
ボーカルにルーサ・ヴァンドルスとグエン・ガスリーを起用し、M.ブレッカーのテナーをフィーチャー、リズム・セクションを
S.ガッド(ds)、A.ジャクソン(b)、Rティー(p)の最強布陣で固めたサウンドは強烈。
後半、倍テンポに変わるところの躍動感は半端じゃなく、ブラックミュージックとはこう表現するんだ、という手本のようなサウンドに仕上げている。
最近では(といっても2002年だが)コーラス・グループTAKE 6が、Sワンダー、Dフェイゲン、Dハサウェイなどのナンバーを取り上げたカヴァーアルバム「ビューティフル・ワールド」でも歌った。
アレンジは職人マーカス・ミラー。こちらは黒っぽさとはほど遠い、洗練されたお洒落なサウンドだが、違った意味で、小気味のいいサウンドだ。
ドゥービーの原曲と、この2つのカバーを聴き比べてみるのも面白い。
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